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最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)177号 判決 1998年5月26日

茨城県取手市戸頭一一八三番地

上告人

荒木順一郎

右訴訟代理人弁護士

桒原周成

大森浩一

茨城県龍ケ崎市川原代町一一八二―五

被上告人

龍ケ崎税務署長 小林等

右指定代理人

深井剛良

右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行コ)第三八号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成八年四月二三日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人桒原周成、同大森浩一の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 金谷利廣)

(平成八年(行ツ)第一七七号 上告人 荒木順一郎)

上告代理人桒原周成、同大森浩一の上告理由

第一 訴外石崎輝子(以下、石崎という)に対する債務保証に関わる上告人の貸倒損失について

一 上告人は、当時貸金業を営んでいた石崎が第三者から営業資金を借入するにあたり、石崎の同債務につき連帯保証人となり、石崎の事業の失敗により最終的には第一審判決別表6(以下、別表6という)記載のとおりの代位弁済を行なっている。

上告人は、右代位弁済について、貸倒損失としての損失を主張しているものであるが、事実審判決は、右代位弁済の事実を認定しながら、『原告が石崎の債務を保証し、弁済したことによって生じた求償権は、原告の貸金業者としての事業の遂行上生じた債権とはいえない。』として、「貸倒れ」の問題は生じないとの結論を導いている。

しかし、右事実審判決の『原告の貸金業者としての事業遂行上生じた債権とはいえない』との認定には、以下に詳述するとおり、経験則の適用を誤った重大な事実誤認があり、これが判決の結果に重大な影響を及ぼすことは明らかであるので、破棄されるべきである。

二1 事実審は、上告人が石崎の債務につき連帯保証人として代位弁済した経過について、次のような事実を認定している。

『石崎は、昭和五三年頃から、金融業の運転資金にするため、根本弘、倉田源一ら数人に対して資金提供を依頼し、合計数千万円の資金提供を受けていたところ、提供を受けた資金が次第に高額になってきたことから、債権者らから保証人の提供を要請されるようになった。そこで、石崎は、原告に対し、その当時保有していた約八〇〇〇万円の債権を担保として提供することを条件として保証を依頼した。』

『原告は、石崎の申出に対し、その保有する債権の債権証書を預かることで保証に応じ、石崎の債権者に対し、昭和五四年から同五六年にかけて順次保証した上で、別紙6のとおり合計約四六〇〇万円の保証債務を弁済した。』

2 右認定にあるように上告人としては、あくまで石崎が当時保有していた債権を担保として取得することの見返りとして、石崎の債務について連帯保証に応じたものであって、上告人において利益を度外視して漫然と連帯保証に応じたものではない。

3 石崎は上告人に対し、借用書の束を示しながら、手持ちの貸付債権を約七〇〇〇万ないし八〇〇〇万円ほど有しているが、新たな貸付資金が必要などといって、石崎が保有している債権を担保にすることを条件に石崎の金主に対する債務の保証の依頼を持ちかけたのである。

石崎の説明では、資金難はあくまでも一時的なものであり、今を乗り切れば上告人には大いに儲けさせてあげますなどと調子のよい話をしていた。上告人としては、最初この話が持ち出されたときは、石崎が当時顧客に対し約八〇〇〇万円もの債権を有しており(石崎はこの内約六〇〇〇万円は確実に回収可能と説明していた)、石崎の債務を保証すればこの債権を担保にとることができるという点で非常に魅力を感じた。

また、石崎は、「今、松戸の小松弁護士に約三〇〇〇万円の債権の取り立てをお願いしており、これについてはもうすぐ回収のめどがつきます。」などということも言っており、これを信用した上告人は大きなビジネスチャンスになると思ったのである。

もちろん、上告人は、石崎の債権の中には、ある程度不良化した債権はあるとは思っていたが、石崎保有の債権を担保にとれるのならば、損をすることはまずありえないと胸算用したのである。

4(一) そもそも、貸金業を営んでいるものが、全くの見返りも期待せずに、本件のような多額の連帯保証に応ずることは経験則上ありえないことである。

(二) ところが事実審判決は、この点について

『貸金業者である原告が、それまで数回の取引しかなかった同業者の数千万円という多額の債務を保証すること自体、異例であるところ、原告が、保証の担保として石崎から提供された債権の担保価値について、ほとんど調査らしい調査もせず、石崎の言葉をうのみにして保証に応じているのは、極めて不自然である。原告が石崎の債務を保証したのは、昭和五四年頃から同五六年ころにかけてであり、その間に石崎の金融業は事実上倒産状態になったところ、その程度の期間があれば、原告としても、石崎の金融業者としての業務がどのような状態であり、その有していた債権のほとんどが回収困難で、ひいては原告の求償権が満足されない状態になっていることが判明したはずであり、それにもかかわらず、原告がさらに保証に応じ、あるいは石崎が詐欺の容疑で逮捕されたときに債務の弁済をし、身元保証までしているのは、貸金業者としての合理的範囲を超えた行動であるといわざるをえない。右の事情に加え、石崎が原告の業務の手伝いをして、月々約一〇万円の金員を受領していたことおよび昭和五七年二月に詐欺の容疑で逮捕され、原告の身元引受け等により釈放された後、原告名義で借りたマンションで生活していたことなどの事情を総合すると、原告が石崎の債務を保証し、弁済したことによって生じた求償権は、原告の貸金業者としての事業遂行上生じた債権とはいえない。』

とする。しかしながら、かかる認定はあまりにも一方的である。

(三) もともと上告人は、貸金業者とはいっても、その業態はプロとして洗練されておらず、どの顧客に対しても与信調査が十分とはいえず、頼まれると嫌とはいえない性格から、与信および回収に手落ちがまま見られ、そのため本件で他にも多数の貸し倒れ債権を主張しているように、結果的にだまされたような経緯で多額の貸し倒れ損失を余儀なくされているのである。事実審判決は、『石崎の言葉をうのみにして保証に応じている』という点に注目しているが、上告人の貸金業者としての業務は一事が万事この調子であり、かかる事実は上告人について貸金業者としての適性が問題とされる余地はあるとしても、保証の「業務遂行性」まで否定する根拠とされるべきではない。

しかも、事実審判決のような考え方を敷衍すれば、上告人は、数千万円もの損失が発生することを承知の上で、石崎の保証人となったことになりかねず、その不当性は明らかといわなければならない。

(四) 石崎の金融業は昭和五五年頃には危機的な状態に陥っていたが、上告人が当時おかれた心理状態としては、昭和五四年までに石崎に対する多額の連帯保証に応じていたために、石崎の金融業が倒産してしまうと連鎖的に上告人に多額の代位弁済義務が発生することを恐れたため、石崎のいうままに昭和五五年にはいっても連帯保証に応じてしまったのである(なお、前記事実審判決は昭和五六年にも上告人が保証したかのごとき認定部分があるがこの点は明らかな誤りである。)。

また、石崎は、同人の保有している債権の担保価値を大きく見せるために、その相当部分を小松弁護士に取り立てを依頼してるかのごときでまかせの説明(実際には既に依頼を撤回していた)をして上告人の判断を誤らせてもいた(甲第五号証の一参照)。

(五) また、『石崎が詐欺の容疑で逮捕されたときに債務の弁済をし、身元保証までしている』という点については、右債務は既に上告人において連帯保証をしている債務であり、かつ代位弁済を遅滞することによって上告人本人も警察沙汰にまきこまれることを回避するために石崎に対する捜査中に解決をはかったものであり、石崎を助けるために右弁済および身元保証を行なったものではない。

右石崎の釈放後、上告人は、石崎の依頼に応じて同人が賃借するマンションの契約締結にあたり上告人の名義を貸しているが、これは、石崎が上告人に対し、上告人をだますような形で多額の損害を被らせたことについて石崎が真摯に謝罪し、上告人の仕事を手伝う旨誓約したことによるものであり、かかる事実があったからといってそれ以前に上告人が行なった保証および代位弁済行為について、貸金業者としての業務遂行性を否定する理由にはなしえないといわなければならない。

上告人が石崎に対し、その後月額一〇万円の給与を支払っているが、これは、石崎が上告人の仕事を手伝っていることの対価であり、むしろ一〇万円という金額自体給与としてはかなり低額であることを見れば、かえって石崎が贖罪の意識をもって上告人の仕事を補佐していたことを認めることができるのである。

5 第一審において証人として出廷した根本氏および山口氏は、上告人が連帯保証を行なった動機として石崎の債権を取得することを意図していた旨証言している。

他方、事実審判決においても、

『石崎と原告は、昭和五五年秋ころ、東京都千代田区神田美土代町所在の木原四郎弁護士の法律事務所に勤務していた小沼に対し、石崎が原告に担保提供した債権のうちから、約三五〇〇万円分について取立てを依頼して債権証書等を交付した。小沼は、数件分について回収したものの回収した金員を石崎らに渡さず、結局…小沼が行方不明となったことから、回収が不可能となった。』との事実は認定している。

これらの事実は、上告人が当時石崎の説明を鵜呑にして、仮に代位弁済が必要となる事態となっても当時石崎の保有していた債権から収益を得ることは可能であると判断して、債務保証を行なってきたことを裏付けるものである。

6 確かに、上告人の石崎に対する信用供与はかなりリスクを伴うものと認識されるものではあるが、かかる危険負担は、個人で金融業を営んでいる者については常につきまとうものであり(現に、上告人自身、他にも貸し倒金の発生を主張しているように不良債権を大量に抱え込む事態に陥っている)、この点で事業遂行性が失われることはありえないというべきである。しかも、上告人の石崎についての代位弁済の総額は極めて多額にのぼっており、利益を得る動機を離れて、採算を度外視して、かかる多額の金員を負担することは常識的にありえないと言わなければならない。

三1 なお、原判決(控訴審)は、自らの判旨の説明力を補強すべく、『仮に、控訴人(上告人)に対する求償権が事業遂行上生じた債権であるとしても、その求償権は、石崎が保有している債権を担保としていたから、その担保となっている債権の回収が不可能となった段階で初めて求償権の回収も不可能となる関係にあったところ…約三五〇〇万円の取り立て委任を受けていた小沼が昭和五九年頃行方不明となったというのであるから、石崎に対する求償権も、昭和五九年以降に回収不能となったと認めることはできるものの、昭和五七年までに回収不能となったものと認めることとはできないので、この点からも、控訴人(上告人)の主張は、採用できない。』とする。

2(一) しかしながら、上告人にとっては、昭和五五年一〇月当時において小沼隆三(以下、小沼という)の連絡先として認知していた小沼の勤務先と称する弁護士木原四郎の法律事務所の所在地のみであり(乙第二号証の借用証の住所欄参照。なお、法律事務所所在地については甲第六号証の二参照。)、かつ、昭和五六年の時点で上告人が小沼と連絡をとるべく法律事務所に連絡をしても小沼とは全く連絡がとれなくなっていたものである(甲第三九号証の五頁)。

しかも、小沼は、昭和五五年一〇月に上告人から債権の取り立ての委託を受けた後、昭和五五年から五六年にかけて債務者から一部弁済を受けておりながら、これを着服しているのである(甲第六号証の(一)、二、第一審証人野口正男の証言調書参照)。

他方、当時、木原四郎法律事務所に勤務していた小川君江氏の供述によれば、小沼は事務所で勤務したことはなく、小沼は木原弁護士の名義を借りて取り立て等(非弁行為)を行なっていたことが判明している(乙第四〇号証の三頁)。

これでは、上告人が小沼に対して債権の回収状況について木原法律事務所に問い合わせをしようとしても、小沼と直接連絡が全くとれないのも無理はないといわざるをえない。

(二) 小沼に対して債権の取り立てを委託していた西武クレジットの担当者であった須山勝利氏(第一審で証言)は、小沼が西武クレジットのために回収した弁済金を長期にわたって着服していたことが判明し、かつ同人が音信不通となったのは昭和五九年のころだという(乙第三九号証、同人の証言調書参照)。

このように小沼は、常習的に横領行為を繰り返していた人物であることが判明しており、昭和五五年一〇月に上告人から債権回収を依頼された後、間もなくして、上告人との連絡を絶ってしまったとしても全く不自然ではないというべきである。

3 前記のとおり、上告人は、小沼の自宅の所在地を知らず、それゆえ、木原法律事務所に再三再四連絡をとっても小沼と接触できなくなった昭和五六年の時点で、小沼に回収を依頼した債権が取り立て不能になったと評価されるべきであろう。

上告人が小沼に対して取り立て依頼した債権は、上告人が石崎輝子から連帯保証の見返りとして担保提供を受けた債権であり、かかる債権が回収不能となった昭和五六年の時点で上告人の石崎輝子に対する求償債権も回収不能になったと認定されるべきなのである。

それにもかかわらず、原審は、小沼が西武クレジットとの関係で行方不明となった昭和五九年の時点を、上告人に対する関係でも小沼が行方不明となった時期と安易に結論づけている点において、経験則の適用を誤った末の事実誤認が認められるのである。

4 なお、事実審判決は、上告人の小沼隆三個人に対する貸金債権が回収不能となった時期についても昭和五九年であるとし、上告人の主張する昭和五五年中の貸し倒れ処理を認めなかった(第一審判決一〇四、一〇五頁参照)。しかし、上告人の小沼に対する貸金は、前記のとおり少なくとも上告人が小沼と連絡がとれなくなった昭和五六年中には客観的に回収不能になったものと認められるべきである。

第二 上告人の貸倒損失について(訴外石崎輝子に対する債務保証にかかわる貸倒れ損失分を除く)

一 事実審では、その梅津幸三、同静枝、谷下田松雄、今井進一、吉田征夫・とみい、大洋建設(中村長一郎ないしその関係者)らに対する貸倒れを認めており、その限度で評価しうるものではあるが、以下に述べる貸し倒れについても認められて然るべきである。以下、その所以を明らかにする。

二 個別の貸倒について

1 湯沢金次郎に対する貸倒について

事実審は、単に債務者の所在が把握できなくなったというだけでは回収不能といえないし、回収の見込がなくなったことが客観的に明らかである必要があるとして湯沢金次郎に対する貸倒れを認めていない。

事実審は、右のような認定を導き出す前提として、湯沢の住民票が昭和五八年八月頃移転されていることをあげ、いまだ行方不明の事実は相当期間継続した訳ではないと判断している。

一般に債権者の追及を免れて夜逃げを図る場合、住民票を置いたまま姿をくらますのが普通である。

上告人は、湯沢が行方不明となった昭和五四年一二月二五日の貸付直後から昭和五六年頃まで四~五回にわたって必至になって取り立てに出向いていたにも関わらず、湯沢が住民票を置いたまま姿をくらましていたためそれ以上の手立てを失ってしまったものである。昭和五八年八月の時点で住民票が移動されたというのは、湯沢の方で「そろそろほとぼりがさめた。」と判断したからに外ならず、このことを裏から言えば昭和五八年八月の時点まで追い掛け回すような債権者は殆どいないということを意味している。

このような事実に加えて、湯沢の自宅には老父がいるばかりで居所もわからず、老父に聞いても「もうここには帰っていない。親不孝者なので、俺の子とは思いたくない」と言うばかりの状況であったという事実を斟酌して見ると、経験則上湯沢に対する貸付金の回収が不可能となったと判断すべきでところ、事実審はその判断を誤った重大な事実誤認があり、これが判決の結果に重大な影響を及ぼすことは明らかであるので、破棄されてしかるべきである。

2 田口好夫に対する貸倒について

(一) 事実審は、乙第一号証の六、乙第六四号証などの記載をもとに昭和五八年頃新たに八〇万円を貸し付けたと認定し、それゆえ貸し倒れ損失とは認められないとしている。

しかし、この認定は、以下の点からして明らかに経験則に違反している。

事実審は、乙第六四号証の田口の名下の印影は、乙第七号証の1及び2に使用された印影と同一のものであるから…との理由で、乙第六四号証は真正に成立したものと認定している。

確かに、民事訴訟法第三二六条によって「真正なるものと推定」されることは事実であるが、以下の諸点からしてその内容を真実とすることは出来ない。

(二) 第一点

乙第六四号証の田口の筆跡は、甲第三号証のみならず乙第七号証と対比しても一見して異なった筆跡となっている。

(三) 第二点

甲第三号証は、その内容も田口が自分で考えて書いたもの(上告人の平成五年四月二〇日付け速記録一五丁)であるが、乙第六四号証は到底田口が自分でその内容を考えて書いたものではない。「この通り書きなさいと…」とある通り全て調査官の指示によるものなのである。

例えば、「荒木」の表示は、何れも「さん」抜きの呼び付けになっている。

田口は、上告人からお金を借りて返済できないままの状態にあったのである。もし、このような田口が乙第六四号証を自分で考えて書いたのだとしたら甲第三号証に置けるように「荒木さん」との表示になっている筈である。

(四) 第三点

乙第六四号証の記載は、内容的に見ても「五八年頃八〇万円位を別に借りたが、それは返済したと思うが…五八年四五月頃荒木と石崎…二七〇万円の督促に来たがすぐに払えないので、もう少し待ってほしい旨を…」(乙第六四号証)と訳の分からない内容になっている。

被上告人に主張によると「昭和五八年一月二七日に金八〇万円」貸し付けていることになる。(乙第一号証の六)

また、昭和五八年四月一二日に作成したと主張する乙第一号証の六には、右八〇万円の返済についての記載がないことから、少なくともこの時点までは右八〇万円についての返済は行なわれていなかったこととなる。

丁度そのような時期である昭和五八年四、五月頃、上告人らが二七〇万円の督促に来たというのである。何故二七〇万円についてだけの督促に来たというのだろうか。もし、八〇万円についての返済は終っていたのだとすると、乙第一号証の六にその旨の記載がないこともおかしなことになる。乙第一号証の別のところでは、返済した分はきちんとその旨記載しているからである。

このように、ここの記載は経験則上理解し難い内容となっている。

これは、田口に申述内容を指示した調査官の脳裏には、田口に「昭和五八年頃八〇万円を別に借りた…」との申述をさせることしか興味がなかったため起きた混乱というべきである。

(五) 結局、事実審は、田口好夫に対する債権が昭和五五年暮に債権放棄したものであるにも関わらず、乙第六四号証に惑わされて判断を誤った重大な事実誤認があり、これが判決の結果に重大な影響を及ぼすことは明らかであるので、破棄されてしかるべきである。

第三 日興建設に関連する土地(以下、本件土地という)取引の当事者および取引にかかる上告人の収入について

一 事実審判決(控訴審判決は第一審判決をそのまま引用している)は、本件土地売買契約の当事者が誰なのかという点について、

『日興建設は、昭和五七年頃に事務所を閉鎖し、同年五月には、宅地建物取引業の免許も失効するなどしており、それ以降は、若干の残務整理が行なわれていたとしても、株式会社としての実体は、消滅していたというべきである。本件土地取引には、このような実体のない日興建設が当事者として現われてきているが、右売買の売主側の手続きおよび中常から受領した代金の処理はすべて原告が行なっており、日興建設の代表取締役であった山名が関与したことはなく、日興建設の資金が動いた形跡はない。右のような昭和五七年当時の日興建設の実体、本件土地取引の経緯に照らせば、日興建設は、甲乙両契約書に当事者として記載はされているが、右取引の実質的な当事者は、友春および中常というべきである。』とする。

しかしながら、事実審判決は、以下に詳述するように、上告人の日興建設に対する債権の存在とその消滅事実に目をつぶり、単に、本件土地売買に関する事実のみを取り上げ上告人の行為を現象面で判断して上告人の主張を退けており、この点で経験則の適用を誤って事実誤認をなした違法がある。

二 確かに、日興建設は、昭和五七年になって業績が悪化して、同年中に倒産に至った事実はあるが、同年五月二八日の廃業届提出以降も、残務整理と一部営業活動を行なっている(乙第八〇号証取引明細書の右同日以降の出入金欄参照)。

上告人は、日興建設に対する債権を回収するために、本件土地を日興建設に買い取ってもらい、同社がこれを他に転売することによって、その転売利益で前記債務を弁済してもらうことを思い立ち、その旨日興建設の代表者であった山名孝二に話をもちかけ同人に快諾してもらった経過があった。

他方、岡田友春は、上告人を全面的に信頼し、税金の支払いを含めて本件土地売買および同人の債務の弁済等に関し、一切を任せており、本件土地の日興建設への売買、およびその後の中常への転売についても承諾を与えていたのである。

三 事実審判決は、右のような当事者の関係について、『友春が、その差額を日興建設の債権の返済資金として使用することを許諾するとすれば、友春と日興建設が密接な関係にあるなど、両者の間に何らかの特殊事情が存するのが通常である。…友春としても、売買の差額を日興建設の債権の返済資金として使用することまで認識した上で、原告にすべての手続を委ねたとも認め難い。』という。

そして、他方で、事実審判決は『原告が所得したと認められる金員は、本件土地取引に関して、原告が取得した謝礼金としての性質を有するものである。』とも認定している。

一体、謝礼金という認定は、どのような証拠から導かれたのであろうか。

謝礼金としての性格を有する金銭の授受があったとすれば、当然、その前提となる当事者の合意が証拠によって認定されていなければならないはずであろう。

前記のとおり、事実審判決は、岡田友春において本件土地を日興建設に売却し、さらに中常に転売することを承諾していたという主張を一方的に退けている。しかしながら、そのような認定をする以上、岡田友春が両者の売買契約の代金の差額に匹敵する金員を謝礼として上告人に支払ったとする前記認定は一貫性を欠いているものと非難せざるをえない。

四 さらに、事実審判決は、本件土地取引に関し、『原告は、…友春所有地を売却して謝礼金を受領したもので、右謝礼金相当額は、原告の事業所得に計上すべきところ、原告は、日興建設が中間譲渡人であるかのように事実を仮装して謝礼金の額を圧縮した。』とし、本件重加算税賦課決定を正当化している。

しかし、上告人は、本件土地取引に関し、中常に対する転売により生じた譲渡利益から日興建設に対する債権を全額回収する意図をもって、日興建設を本件土地の中間譲渡人にさせたのであり、しかも、友春との間で右転売利益に相当する金員を謝礼として受領する旨の合意があったわけでもなく、それゆえ、所得税申告にあたり、右転売利益に相当する部分を謝礼金として所得に計上することは全く想起しえない立場にあった。

上告人には、本件について『隠蔽ないし仮装』の意図などない。

五 事実審判決は、一方において、被上告人が書証として提出した申述書ないし聴取書(いずれも上告人側の認否は不知である)の信用性を無批判に肯定し、他方で、上告人や石崎および山名の供述ないし証言を一方的に排斥しているが不当である。

本件論点に関して、被上告人は、本件売買について部外者の立場にある青木忠士を証人として申請するのみで、本件売買の直接の関係者である岡田満や芝沼治雄等を証人として申請することすらしていない。

このような証拠関係の下で、法廷において証言している上告人、石崎、山名らの供述を一方的に排斥して、被上告人側の主張を採用することは不公正とはいわざるをえない。

以上

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